周りとうまくやれない自分がつらくて、
どう振る舞うのが正しいのかを、ずっと探していました。
でも今思うのは、 その答えが見つからなかったのは、
自分の感じていることを、
後回しにしたまま 正しさを探していたからだったのかもしれません。
正そうとしていた頃の私
生きづらさを感じるたびに、
「このままじゃダメだ」「自分が間違ってるからまたこんな気持ちになるんだ」
そんなふうに、いつのまにかそう捉えるようになっていました。
周りと同じように振る舞えないことが不安で、
うまく立ち回れない自分をどこか間違っているように感じていたからです。
正しいやり方が分かれば楽になれるはずだと、
その“正解”を探し続けていました。
いわゆる「他人軸」と呼ばれる状態だったのかもしれません。
でも今振り返ると、 その焦りは「変わりたい」気持ちというより、
自分の感覚を置いたまま、正しさに合わせようとしていたのかもしれません。
自分の感覚に目を向けるようになった理由
正しく振る舞おうとしているのに、 気づくと疲れが残っていることがありました。
その場では大きな出来事があったわけじゃないのに、
心のどこかに、引っかかる感じだけが残る。 どうしてこんなふうになるんだろう。
そう考えてみても、はっきりした理由は見つからなくて、
ただ、腑に落ちない感覚だけが残っていました。
正しさを基準にしていたことで起きていたこと
振り返ってみると、 私が何かを選ぶときの基準は、
いつも「正しいかどうか」だったように思います。
相手にどう思われるか、 その場の空気を乱さないか、 ちゃんとしていると思われるか。
そうやって正しさを基準に考えているうちに、
自分がどう感じているのかを確かめる前に 答えを出す癖がついていきました。
正しく振る舞えていれば問題はないはずなのに、 気づくとどこか満たされない感じだけが残る。
その感覚に目を向ける余裕がないまま、 また「正しい選択」を重ねていくことで、
自分の気持ちはますます後ろに追いやられていたのだと思います。
正そうとすることに必死になっていた分、 自分は何を感じているのかを、
ちゃんと見ていなかったのかもしれません。
人を優先し続けてしまう背景については、こちらの記事でも触れています。
まとめ
正しく振る舞おうとするほど、 自分の気持ちから目を離してしまうことがあります。
うまく立ち回れなかったから苦しかったのではなく、
何を感じているのかを確かめる前に正しさを基準に選び続けていたことが、
どこか腑に落ちない感覚につながっていたのかもしれません。
正そうとする前に、 いま自分は何を感じているのか。
その感覚に目を向けることから、 少しずつ楽になれる選び方が見えてくることもあります。



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