頑張っていたのに、評価されなかった。
うまく立ち回れる人が、正直うらやましかった。
私はきっと、
そういう側の人間じゃないんだと思っていた。
でも今振り返ると、
足りなかったのは能力だったのか、と考えることがあります。
本当は、
自分の価値を見せることのほうが、怖かったのかもしれません。
評価されないのは能力の問題だと思っていた
会社員だった頃、
私はそれなりに真面目に働いていたと思います。
頼まれたことはきちんとやるし、
大きな失敗もしていなかった。
でも、評価される人はいつも別の人でした。
前に出て話せる人。
自分から成果を伝えられる人。
上司と自然に距離を縮められる人。
それを見ながら、
私は「やっぱり私はそういうタイプじゃないんだ」と思っていました。
出る釘は打たれる、という言葉を
私は体感で知りました。
こうした方がいいと思って出した意見が、
生意気だと態度に出されたことがありました。
自分だけ知らない集まりがあったり、
私の目の前で、私がいないかのように話が進められたこともあります。
そこにいるのに、
いないものとして扱われる感覚は、
思っていたよりもずっときついものでした。
真面目に取り組むことが
そのまま評価につながるわけではない現実を、
そこで知りました。
それからは、
目立たないように、
でも会社が困らないようにと、
ひっそりと仕事をするようになりました。
評価が欲しかったのに、前に出られなかった理由
評価されたくなかったわけではありません。
むしろ本音では、
ちゃんと見てもらいたい気持ちはありました。
でもその一方で、
またあのときのように傷つくかもしれないと思うと、
どこかで足が止まっていました。
評価されるということは、
目立つということでもある。
目立てば、また何か言われるかもしれない。
また線を引かれるかもしれない。
そこまでして、評価を取りにいけるのか。
自分の中で何度も天秤にかけて、
結局、傷が増えないほうを選んでいたのだと思います。
評価されることが、怖くなっていった
いつの間にか私の中では、
評価されると傷つくかもしれない、という感覚が
自分の中に染みついていました。
目立てば何か言われる。
認められれば、反発も来る。
そう思うと、
自分の努力や考えを見せることは、
危険なことのように感じられていました。
認められることを諦めることで、
自分を守っていたのだと思います。
そしてもうひとつ。
周りへの信頼も、少しずつ失っていました。
「よく頑張ってるね」と言われても、
「あなたがいないと回らない」と言われても、
評価には反映されない。
その積み重ねが、自分にも、周りにも、不信感を育てていきました。
能力の問題ではなかったと気づいたとき
振り返ってみて、
やっと気づいたことがあります。
私は能力が足りなかったのではなく、
傷つかないように慎重になっていただけでした。
でも同時に、そんな自分をどこかで追い詰めていました。
本当は悔しかったのに、納得なんてしていなかったのに、
それでも仕方ないと飲み込んでいた。
辞める勇気も出せず、
自分の価値を守れないまま働いていたことが、一番苦しかったのかもしれません。
評価を取りにいけなかったのは、勇気がなかったからではなく、
「評価されると傷つくかもしれない」という感覚が、
自分の中に染みついていたからでした。
その感覚を抱えたままでは、
どんなに頑張っても苦しいのは当たり前でした。
能力を磨けば解決する問題ではなく、
まずはその感覚に気づくことが必要だったのだと思います。
まとめ
頑張っても評価されなかったのは、
能力が足りなかったからではなかったのかもしれません。
評価されたくなかったわけでもない。
本当は、
ちゃんと見てもらいたかった。
でも同時に、
「評価されると傷つくかもしれない」という感覚が
自分の中に染みついていました。
だから私は、
認められることを諦めることで、
自分を守っていました。
それは弱さではなく、
あのときの私なりの選択だったのだと思います。
もし今、
頑張っているのに報われないと感じているなら、
それはあなたが足りないのではなく、
傷つかないようにしてきただけかもしれません。
頑張っても報われなかったことよりも、
自分の気持ちを蔑ろにし続けたことの方が、本当は苦しかったのかもしれません。
そのことに気づけたのなら、
もうあの頃のままではないのだと思います。

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