他人軸で生きてしまう理由|それは自分を守るためだった

感情の扱い方・自己肯定感

他人軸で生きていることは、よくないことだと思っていました。

自分の意見を持てない人。

周りに流される人。

もっと「自分軸」で生きたほうがいい、と。

でも振り返ってみると、私にとって他人軸は、

自分を守るための“保険”のようなものだったのだと思います。

相手に寄せていれば、衝突は起きにくい。

空気は荒れない。否定される確率も下がる。

そうやって、安心を確保してきた。

だからこそ、他人軸をやめられなかったのだと思います。

他人軸は「安心の取り方」だった

振り返ってみると、

他人軸は「自分を持てない状態」ではなく、

安心していられる方法だったのだと思います。

相手の顔色を見て、空気を読んで、波風が立たないほうを選ぶ。

自分の気持ちよりも、場が穏やかでいることを優先する。

そうしていれば、

否定されたり、見放されたりする可能性は低くなる。

だから私は、無意識のうちに他人軸を選んでいました。

それしかできなかった、というより、

それが一番安心できるやり方だったのだと思います。

保険に頼り続けたときに起きていたこと

ただ、他人軸を使い続けていると、

あとになって「またか」という気持ちが残るようになりました。

その場では何も問題は起きていない。

むしろ、うまくやれたほうかもしれない。

それでも、

「また他人優先にしたな」という気持ちだけが残る。

無意識に神経を使っていたことに、一人の時間になってから気づく。

誰かに何かを言われたわけじゃないのに、

自分の中だけで、少しだけ削れているような感じ。

うまくやれたかどうかよりも、

「また自分を後回しにした」という感覚のほうが

あとを引くようになっていきました。

そうやって少しずつ、自分の気持ちよりも「場の安定」を優先する選び方が、

当たり前になっていったのだと思います。

他人軸は手放すものではなく、使い分けるもの

他人軸に頼っていることって、やっぱり間違いなんだろうか。

そんなふうに思ったこともありました。

でも今は、

間違いかどうかよりも、「なぜそうしてきたのか」を考えるようになりました。

他人軸は、私にとって安心できるやり方でした。

いきなりそれをやめようとすると、正直、落ち着かなくなる。

だから、他人軸をゼロにしようとはしませんでした。

ただ、ずっと他人軸のままでいるのはしんどいとわかっていたから、

一人の時間に、今日は何がしたいかをそのままやってみる。

誰にも見られていない場所で、自分の感覚に従ってみる。

それを繰り返すうちに、他人軸に頼らなくても大丈夫な時間が少しずつ増えていきました。

今でも人といると無意識に発動します。

でも、戻れる場所がある。

それだけで、前よりずっと楽です。

まとめ

他人軸で生きてきたことは、間違いだったわけではありません。

それは、自分を守るための保険のようなものでした。

ただ、その保険をずっと使い続けると、自分の感覚は後ろに下がっていきます。

他人軸をなくすことよりも、

自分の感覚に戻れる時間を持つこと。

それが少しずつ増えていくと、

他人軸は「頼り切るもの」ではなく、「選べるもの」に変わっていきます。

いきなり変わらなくてもいい。

まずは、一人の時間に戻れる場所をつくることから。

それだけで、

生き方は少しずつ軽くなっていきます。

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