はじめまして。管理人のkarenです。
今は他人の目を気にすることなく、自分らしく人生を楽しんでいます。
仕事に子育てに奮闘していますが、毎日楽しく過ごせています。
以前の私は、他人の評価や価値観が基準になっていて、
他人の感情や表情に敏感に反応してしまい
これをしたら好かれる・嫌われるという考えが常に纏わりついていて
自分の意志や好きなこと・やりたいことが素直にできない状態でした。
おそらく、家庭環境が大きく影響していて、
私は3人兄弟の真ん中で、兄弟間の比較をされやすく
『私自身』がというより、『誰かと比べての私』が中心になっていました。
良くも悪くも、親から『karenは他の兄弟と違って大人しくてお利口さんだね』と言われたら
その自分が『私の姿』と自分の中でも錯覚してしまい、
少しでも自分勝手な行動を取ってしまうと親から叱られ、
『わがままをいうなんて信じられない』と言わんばかりの絶望感を与えられてきました。
次は怒られないように、親の理想を裏切らないように。。
と考える行動が増えていきました。
学生の頃は、上の兄弟と同じ高校へ行かなければまた比較されると思ってしまい、
本当は別の学校の専門の科へ進みたい気持ちがあったけど、それを隠して受験をしました。
受かりはしたものの、入学してからは授業についていけず、半年ほど登校拒否になりました。
その状態でも、担任の先生が親身になってくださったので再度通うことができ、
新しい友達もできて、無事卒業もできました。
でも、その当時親には全く自分の本心を話すことはできませんでした。
一度、母に思い切って自分から切り出したことがあったんですが、
『困ったときだけ頼らないでくれる?ほんとあんたは何考えてるのかわからない』
と言われ、完全に私の心は閉ざされました。。。
今でもあのシーンは鮮明に覚えてます。
きっと本人は全く覚えてないんでしょうが。
大学受験をむかえ、ここでも私は母と同じ職業になろうと専門の学科を受験をしましたが失敗。
しかも予備校生になってからの受験も失敗。
体裁のためか私のためなのかわかりませんでしたが、
母は最終の2次募集でも受験できそうなところを探してくれましたが、父が断固反対しました。
理由は、『行きたくもないところに行かせるわけにはいかない』とのこと。
私の努力不足ではあったので、ごもっともな理由です。
しかし真相は、家のローンがあるのに、
無名の大学に通わせるなんてもったいないということでした。
特に父親は学歴や職業など世間体を気にして、それで人を判断するところがあります。
だから、私のためではないのを感じてしまったし、
正直に話したらもっと勘当されてしまうと諦めていました。
そのまま社会人になり、初めての職場は母の勧めた職場でした。(また親主導。。)
初めてだったのもあって、失敗が怖かったり、どうしたらいいのかわからなくて、
自分からコミュニケーションを取ることができず
それこそ何を考えてるのかわからない人に自分がなってしまい
自分から居心地悪い環境を作ってしまっていました。
そしてしばらくして退職することにしました。
次の職場では、円滑に関係を築こうとして逆にぐいぐい行き過ぎてしまいました。
発言はした方がいい!というのも度が過ぎてしまっていたのと、
今まで自己主張する過程が少なかったせいで、
自分を出せていると感じる時間が嬉しくて仕方がなかったんです。
そのことが、自分の知らないうちに周りに反感を買っていたんです。
それも知らず、自分ではこんなに腹を割って話せていると自分だけが思っていたんです。
そして事件が起こり、周りの私への反感の声が大きくなり私は部署異動となりました。
自分でも仕事に対してはまじめに取り組んでいましたし、
どこまでも頑張ってしまうところがありました。
けどまじめにやってて嫌われるなんて、すごく苦痛でした。
異動が決まったあとは、明らかに元いた部署の人達から避けられたり、
目を見て話してくれなかったり、自分だけ食事会やイベントに誘われないとか
居づらさを感じて、退職することを促せれているのかと何度も思いました。
とどめを刺すかのように、会議中に
『自分がみんなに嫌われていることわかってる?』
と別部署の部長に言われて、(とにかくこの人には一番嫌われていたと思う)
こんなこと、周りに人がいるところで大人になってからそんなこと言われてしまうのか
とショックというより唖然となったのを覚えてます。
私の落ち度も確かにあったかと思います。
ただ、好き嫌いを仕事の場で公にするのは考え物だと感じたし、
業務に支障がでるようなことをされるのは違うと思ったから、
自分だけの問題ではなかったんじゃないかと思い、退職するのはとどまりました。
この時は苦痛が上回っていましたが、これが1回目の転機となりました。
異動後は新しい環境にすぐには慣れなかったし、
あんなことあったから、私とは関わりたくないよね。。。とか
気にすることもありました。
しかし、部署内で趣味が合う人が多くいて、
仕事以外の会話が増えたことで
仕事のときも話せる機会が増えていきました。
過去のことも傍から見てどう感じたのか、教えてくれるまでになり、
・あのときはこうした方がよかった
・あの人は〇〇なとこがあるから、接し方次第で変わるよ。
・誰にでもああいう態度取るよ。
そうか、冷静に分析してるんだなと感心することが多かったです。
心の中で思うことがあっても、
態度に出さずに接することができることが羨ましいし
無駄に嫌われる自分が嫌だったから
部署内の人に『どうしてその考えができるんですか?』
と、正直に聞いたりしました。
納得できることや、理解できないことも両方あったし、
私はここはこう感じてしまうところがあるとか
時には『そんな簡単に理解できるばかりじゃありません!!』と
大喧嘩にまでなってしまうこともありましたが
私はこう思う・考えるの部分と相手のこう思う・考えるの良いとこどりをしたら
もっと自分もラクになるんじゃないかと感じるようになっていきました。
さらっと言ってますが、心底思えるようになるまでものすごく時間かかりました( ;∀;)
1つの意見や考えが100%正しいとかではなくて、
自分の中にもちゃんとこうしたい部分はあって、
さらに他人の思わぬ一言でもっと良くなったり。。と
自分も大事にしつつ、他の意見も参考にするって
ひょっとしたらできている人が多いことなのかもしれませんが、
多様性の中に自分も他人も含めて考えると、ちゃんと自分のことも無下にしていないし
ストレスも少ないんですね。
違う部分があることは当たり前なことです。
ただ、伝え方でかなり印象も違うし、
内容よりも言葉のキツさが残ってしまうかもしれないとか
言葉の選び方も考えて会話するようになりました。
しばらくして、周りとの関係性も変わってきて、
仕事だけでなく他愛のない会話もできるくらい状況が変わってきました。
そんなとき、私は第一子を妊娠しました。
結婚して10年以上授からなかったので
私には子供ができないんだろなと諦めていました。
なので、喜びと驚きでいっぱいでした。
妊娠中と出産後、私はずっと同じことを考えては繰り返していました。
私が『親』になる。これが2回目の転機です。
自分がこじらせてしまっていた、親子の関係性に向き合うことになったのです。
とにかく一番思ったのは、
自分と同じ思いをさせたくない
でした。
だから、自分が子供だったとき、本当は親にどうしてほしかったんだろうと
何度も繰り返し考えました。
でてきた答えとして
・甘えたかった
・自分だけみてほしかった
・自分の話を聞いてほしかった
・欲しいものを欲しいとわがままを言いたかった
・嫌なことはしたくない
・ほめてほしかった
・誰かと比べてほしくなかった
など、私がブレーキをかけてしまうような内容ばかりでした。
書いてて寂しい気持ちになってしまいました。
俗にいう、『毒親』ってやつだったのか。。。?
でも衣食住には困っていなかったし、殴られるとか虐待があったわけでもないし。。。
ますますわからなくなってしまったんですが、
この状態を調べていくと『アダルトチルドレン』という言葉をみつけて、調べていったら
思い当たる節がありすぎて、ちょっと笑いそうになりました。
私、アダルトチルドレンだったのか!とわかったら今までのことも繋がって、
こうなってしまってたのも仕方がなかったのかと腑に落ちました。
ショックというより、同じ思いをさせないように育てていくなら、
もっと理解を深めようと思いました。
実際に育てるといろんな壁にぶち当たりました。
全然いうことを聞かない・事がうまく進まないなんて日常茶飯事で、
『こういうときに親の思い通りにさせようと怒鳴ったりして圧をかけてしまうんだろな』と
一旦冷静になって子供の気持ちと自分の気持ちの確認をしたりします。
自分に余裕がないときはつい怒ってしまうときはありますが
こうしてコミュニケーションを重ねることで
お互いに気持ちの理解を深めている最中です。
子どもに『ママ大好き』と言われるとすごく嬉しいし、
いつもにこにこ顔を見せてくれる姿に、
『私も子供の時、お母さんとこうなりたかったな』と思いますが
自分の子供とその関係を築けたからこう感じるのかとわかって、
今の幸せの大きさを実感してます。
私は、ここ数年間で、他人との関係性や自分が素直な気持ちになれるにはどうしたらよいか
真剣に自分自身と向き合ってきました。
子ども時代はあまりいい思い出がありません。
成人してからも周りを気にして自分のことを後回しにする癖ができてしまい
それが大きなトラブルを引き起こしてしまいました。
こんなこと、マイナスでしかないんです。
わざわざトラブルを起こさないと、自分と向き合う時間も作れなかったのかと思うと
こんな思いは誰もしてほしくないと思います。
対人の悩みって人によって大小あります。
悩みのせいで自分が委縮してしまったり、
永遠にこのまま解決なんてしないんだろうなと思っていました。
でも、時間はみな同じように過ぎていきます。
乗り越えた今だから、もっと早く気付けばよかったと思うことがたくさんあります。
自分の人生、楽しめたほうがいいし、他人のためのものじゃないです。
悩んでる人が損してることが多すぎだと感じています。
今はいろんな情報網があって、触れられるものもたくさんあります。
そんな中で私のブログを見つけてくれて、
少しでも自分らしく生きることの価値をみつけてもらえたら嬉しいです。
私もまだまだ勉強中ですが、自分らしくいきるため、よりよい情報発信ができるように努めます。